実録!ビリガキ太閤記!平成→令和パートⅠ

これは北海道模試でビリから、中学受験に逆転合格した私の幼少期の実話です。

最初に言っておきますが、ウソ、ウケ狙い、盛りは一切ありません! 天才でもハッピー野郎でもありません!勉強の悩みは一通りも二通りも経験しました。

誰よりも勉強が苦手な子の気持ちがわかる自信があります、 そして誰よりも成績が上がる勉強の仕方を知っている自信があります笑

私の過去はちょっと奇抜かもしれませんが、私自体は普通の人です。

むしろ苦手なことが普通の人より多いかもしれません。

 

 

「はじめてのおじゅけん」模試で全道ビリからの有名私立中学受験合格パート1

遡ること29年、私は北海道の一番下の端の街で母子家庭で生まれ育ちました。育った町の当時の人口は1万人ほどでした。

隣町には私の母校や〇サールなど、有名私立進学校がありました。私の育った町、には水産高校と地元の高校しかありませんでした。

海の近くの田舎で、勉強とはほぼ無縁の環境でした。(私にとっては)

子供の頃の私は小児喘息とアトピーで、季節が変わるころには決まって発作を起こして入院を繰り返していました。

このころの小学校での記憶はほとんどありません。 なぜなら学校に通った時間より、自宅で休んでいた時間の方が多かったからです。

なので自宅で過ごしたことの方が今でもよく覚えています。

そういうわけで「学校を休んだ時だけに観れる番組」のNHK教育テレビの番組は私にとってはいつもかかっている番組(見ている番組ではない(笑))でした。

そして体調の良い時に学校で受けたカラーテストは、本気でしっかり解いても0点のオンパレードでした。それもそのはず、授業がぽっかり抜けているんですから。

もちろん通信簿も『がんばりましょう』とか『△』ばかりです。

そろばん塾に行ったり、通信教育の教材「ドラゼミ」や、進研ゼミ「チャレンジ」もやりましたが、どの教材もいつも新品未開封! そのうちまた入院するのです。

そうしているうちに見かねた担任の先生が、病室に給食の牛乳と一緒に算数のプリントをお見舞いに持ってくるようになりましたが当然わかりませんでした。

退院したら反動で好き放題遊びました。虫取りをしたり、当時大人気だった「モーニング娘。」のカードを集めたり、スーパーファミコンをしたり、友達と駄菓子屋で寄り道したり、毎日遊びまくる幸せなおバカさんでした。

ただ漠然と「水産高校には歩いて行けるから、私は水産高校に行くのかも…」と小学生ながら考えていたのは覚えています。

私の母はそれを見かねて、何を思ったか「このままじゃこの子は高校に行けないんじゃ…?よし、中高一貫校にぶち込んで高校だけは行かせよう!中学受験ならまだ4教科だし!」と決意。隣の町に引っ越しをし転校しました。

塾業界では、中学受験は高校受験よりも難しい!という声もあります。 私の母もなかなかユニークですよね(笑)

そして「受かったら欲しいものなんでも買ってあげるから♪」という誘いにつられ、 小学校5年生の3学期に私のはじめてのおつかいならぬ、はじめてのおじゅけんが始まりました。

さて、田舎から少し都会の隣町に引っ越してからは、塾も学校も徒歩5分ほどの家に住み新しい環境でおじゅけんスタートです。

まず近隣の町で一番の進学塾グループのR会という塾に通いましたが、 私には塾の先生の授業はさっぱりです。

自慢じゃないですが、小学校5年間の勉強内容の蓄積は皆無でした。当時の小学校の授業も、よく理解できていません。そんな状態で先取り型の授業について行けるはずがありません。

勉強の仕方もわからない、何がわからないかもわからない、 そんな救いようのない無謀な状態からスタートしたのです。

その塾で初めて受けた、北海道模試はとりあえず全部埋めました。(いつも母にわからなくても全部書いておけば当たるかもしれないから埋めとけ!と言われていました。)

名前も受験番号もきちんと書いて、全教科で北海道でぶっちぎりのビリでした!成績リストの下段から1番です。正真正銘のビリギャルならぬ、ビリガキの誕生です。

そのテストの理科の問題では、答えに「アメーバ」と書くところを「水虫」と書き、「ゾウリムシ」と書くところを「スリッパ」と真剣に解きました。

突拍子もない解答に、採点した先生のバツチェックのペンが微妙に変形してにじんでいたのを覚えています。(きっと噴き出したんだと思っています。(笑))

 

そして塾では優秀な附属小学校の生徒さんにテストを取り上げられ、皆にさらされて笑い者にされました。

さすがに塾の先生もお手上げだったのか、注意もせずにノータッチでしたね。

正直、「なんで受験しないといけないのかなあ。友達や好きな男の子と一緒の、公立の中学校に行きたいなあ。」 と思っていましたが、 「受かったら欲しいものなんでも買ってあげるから」という母の誘い文句は絶大でした(笑)

当時大好きだった海外ドラマの「ダークエンジェル」で主人公マックスが乗っていたZZR250というバイクを買ってもらう気満々でした。

そして私はいよいよ小学校6年生になり、 書店の参考書や問題集で勉強を始めることになります。

続く

 

 

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